書店でたまたま見かけ手に取った作品。アマゾンレビューが大変多く、有名な作品だったらしい。タイトルからどこか暗い雰囲気が伝わってくるが、それもそのはず、心理学者である著者が強制収容所の実体験をリアルに描いた作品だからだ。心理学者ならではの視点で被収容者の心理状態を考察している。アウシュビッツに代表される強制収容所で行われていたユダヤ人に対する非人道的な行いは有名である。収容所の環境、そして被収容者がどのような扱いを受け、どのような想いで壮絶な日々を過ごしていたのか、筆者の目を通して、その様子を垣間見ることができた。
強制収容所で行われていた非人道的な行為は数々の書籍で紹介されている。本書ではそうしたところには部分的にしか触れず、多くは著者自身の心理描写が描かれている。
第一段階 好奇心
被収容者の心理変化には大きく3段階に分けられるらしい。まずは収容所に到着し、通過儀礼である「消毒」を受ける際に起こる。全員裸になり、髪の毛から全身の毛を全て剃られシャワーを浴びる。その際、指輪や写真など、自分の過去が詰まっているものは全て没収される。いわば、「それまでの人生をすべてなかったものにされる」のだ。淡く抱いていた希望や幻想が一つ一つ潰されていき、文字通り裸以外の存在以外何も所有していない状態になる。その時、人は何を考えるのか。著者曰く「好奇心」が心の多くを占めるらしい。生命の危険に晒される時、例えば山で岩場をよじ登っていて足を滑らせ落下しかけたとき、その刹那「自分の命は助かるだろうか」「骨折するなら足かな頭かな」など、意外と冷静な自分がいる時がある。それと同じように、世界をしらっと外から眺め、人々から距離を置く、冷淡といってもいい好奇心が支配的になる。現実を第一人称の視点で受け止められないほどに過酷な状況だったのである。
また、興味深かったのが、人間の「慣れ」に関する話だ。収容所では幅2.5メール程しかないベットに9人が横になって寝ていた。短い睡眠時間で、びっちりと体を押し付け合って寝る。寝返りはもちろんできない。耳の真横でいびきもかかれる。体が疲れていることもあるが、そうした状況でも目を閉じれば朝までぐっすり眠れたそうだ。また、歯磨きもせず、栄養状態が悪い中でも歯茎は以前よりも健康であったり、土木作業で傷だらけの手が化膿しなかったり、人間の適応力は不思議であると考えさせられる出来事がいくつかあった。
第二段階 感情の消滅
収容所に入って数日が経つと第二段階である「感情の消滅」へと移行する。内面がじわじわ死んでいく。入所当初は残してきた家族に会いたいという衝動に苛まれるそうだが、数日もすれば、希望とともにそうした感情は消え失せる。目の前で殴られる仲間からも目を逸らさなくなる。無関心に、心に小波ひとつたてずに眺めていられるようになってしまう。苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。これらは全て、数週間収容所で生きた人間には見慣れた光景になってしまい、心が麻痺してしまう。
そうした感情の消失は時に身を守るための手段になる。収容所ではとにかく殴られる。理不尽な理由で、ときには理由すらなく。そうした不条理に対し、無感情というのは、咄嗟に心を囲う盾の役割になっていた。理不尽という濁流に押し流されてしまわないための防衛手段であった。
第三段階 収容所からの解放
最後の心理変化は収容所から解放された時に起こる。数日間、極度の緊張状態を経験し、ある朝急に自由になったら、人間にどのような変化が起きるか。それは、完全な精神の弛緩だった。現実を受け止められず、ただぼーっとしている状態。すべてが非現実で、不確かで、ただ夢のように感じられる。入所当初は微かな希望を抱き、自由に動き回れる日の朝が明けることを夢見て眠り、毎朝絶望と共に目を覚す。その繰り返しによって、いつしか希望は遠い過去のように色褪せ、無感情で日々を過ごすようになる。「嬉しい」という感情を忘れてしまうのだ。そして急に解放の日が訪れると、そもそもこれが現実なのか、受け入れてよいものか、嬉しいという感情を思い出すのに時間がかかる。これは当然なのかもしれない。
人生の目的こそが人を強くする
「慣れ」の話の中でも述べたが、本書を通じ、改めて人間の強さを感じた。絶望が蔓延する収容所のなかでも、監視にバレない程度に仲間どうしで冗談を言い合ったり、僅かな量しか与えられない配給を楽しみにしたり、些細なことに楽しみや生きがいを見出し、懸命に命を紡いでいた。彼らの「生」の支えになっていたのは、愛する妻や家族にもう一度会いたい、生きて出所できたらこれがしたい、といった強い目的意識だった。人生の目標・目的を定めることこそが、自分を見失ってしまいそうなとき、自分の人生を諦めてしまいそうなときに、進むべき道を照らてくれる道標になる。
戦争のない平和な時代の日本に生まれた私としては、こうした過去の凄惨な出来事が、SFのような、どこか空想の物語のように感じた。本当にこの地球でなされ、同じ人間が行ったのだとすんなり受け入れることは難しい。ありきたりな感想になるが、この日常が当たり前ではないと肝に免じ、日々を大事に過ごしていこうと思った。
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