『生き方』稲盛 和夫 氏(20冊目)

読書日誌

言わずと知れた日本の大実業家である稲盛氏。京セラ、KDDIの創始者であり、一時経営破綻した日本航空の再建に携わるなど、日本経済に大きく貢献した方として有名である。昨年8月に死去された際には、著書が書店に所狭しと並んでいたのが印象に残っている。今回はその中でも特に有名な本書を手に取ってみた。人生や仕事に対する稲盛氏の考え方、そして稲盛氏の人生について触れることができた。本書でなんとか20冊に到達できた。これからもブログは細々と続けていきたい。

『働く』とは

「ワークライフバランス」が叫ばれるようになって久しいこの時代、「働く」ことに対する人々の考え方は大きく変わってきた。プライベートの充実を最優先に、仕事=必要悪として捉える風潮が蔓延しているようにも感じる。あまり大きな声で言えないが、私自身は(どちらかと言えば)昭和的な働き方も悪くはないと考えている方なので、近年のそうした風潮には若干の違和感を感じていた。

稲盛氏のいう人生のあり方は、以下の文章に集約されている。

“生まれたときよりも少しでも善き心、美しい心になって死んでいくこと。生と死のはざまで善き思い、善き行いに努め、怠らず人格の陶冶に励み、そのことによって生の起点よりも終点における魂の品格をわずかなりともの高めること。それ以外に、自然や宇宙が私たちに生を授けた目的はない。”

人間の生きる意味や人生の価値は「心を高め、魂を錬磨する」ことにある。そして、心を磨くために一番有効な方法が、一生懸命に「働く」ことと述べられている。労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性を作っていくと言う効果がある。仕事の大部分は辛いことかもしれない。就職活動に失敗して自分の本意ではない仕事に就いている人も多いだろう。かく言う稲盛氏も、就職活動には苦労されたようで、初めて勤めた会社は、どんどん人がやめていくような環境だったそうだ。そうした状況下で稲盛氏はどうしたか、ただ「一心不乱に仕事に打ち込んでみた」そうだ。たったそれだけのように感じるが、一生懸命働いていると、「苦しみの中から喜びが滲み出てくる」らしい。真剣であるからこそ、日々の些細な変化に気づくことができる。また、真剣であるからこそ、なぜその変化が生じたのだろうと考えを巡らせられる。そうしているうちに、いつの間にか仕事にのめり込んでいる自分に気づくというわけだ。「好き」と「打ち込む」は表裏一体である。好きだから打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくる。その因果関係は循環している。

能力をも凌駕する「思い」

仕事をしていると、大きなプロジェクトや、社内で誰もやったことがない、いわゆるゼロからの業務を任されることがある。責任が大きい仕事や、前例がなく手探り状態で進むしかない仕事は、精神的に大変だ。そうした仕事にどのように向き合うべきか。心得ておきたい稲盛氏の考えが二つある。一つは、“「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねるということ”。稲盛氏の言葉を借りると、「寝ても覚めても四六時中そのことを思い続け、考え抜く。頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにして、切れば血の代わりに「思い」が流れる。それほどまでひたむきに、強く一筋に思うこと。そのことが、物事を成就させる原動力となる」とのことだ。もう一つが、“現実になる姿が「カラー」で見えているか”ということ。上記のように仕事を思い、考えを巡らせていると、次第に物事の結末が「見えてくる」らしい。未来の姿をイメージして働くとはよく言われているが、色がついて見えるまで想像するという発想は強く印象に残った。どちらも非科学的なところはあるが、稲盛氏が言っているのだから説得力がある。思いの強さこそが仕事の成功を大きく左右する鍵なのだ。

謙虚とは

(少し後ろ向きの話になるが)私が私がと自己主張の強い人、自己の利益しか考えていない人が身の回りにいる。稲盛氏は本書で「利他」の考え方を説いていた。自分よりも先に他人によかれと考える。時に自らを犠牲にして人のために尽くす。謙虚な人はこうした行いを実践できる人だ。私欲はほどほどにし、少し不足くらいのところで満ち足りて、残りは他に。一人ひとりが心がけるだけ、人間関係はもっと豊かになっていくのにと思う。

稲盛氏の言っていることは、言葉にしてみれば当たり前のことで、小学校の教室に掲げられている標語のような倫理観や道徳律とも言える。だが、現代でそれらを実践できている人がどれだけいるだろうか。稲盛氏は、そうした基本とも言える部分を決して軽視せず、むしろ体の奥まで染み込ませ、血肉化し、日々実践してきた。そうして数々の偉業を成し遂げ、日本を代表する実業家になった。仕事への不安が膨らんだ時、迷いが生じた時には本書に書かれていることを思い出し、自らを奮い立たせようと思う。

因果はめぐる

最後に、結果がなかなか出ない時に心に留めておきたい至言をひとつ。

「善を為すもその益を見ざるは、草裡の東瓜のごとし」と中国明代の『菜根譚』にあります。善行をしても、その報いが現れないのは、草むらの中の瓜のようなものである。それは人の目には見えなくても、おのずと立派に成長しているものなのです。因果が応報するには時間がかかる。このことを心して、結果を焦らず、日ごろから倦まず弛まず、地道に善行を積み重ねるよう努めることが大切なのです。

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