映画『フリーソロ』を観て

地上から垂直に切り立った数百メートルもの岩壁を、非常時の命綱となるロープや安全装置を一切使用することなく、おのれの手と足だけを頼りに登っていく。そんな最もシンプルゆえに美しく、最も危険である究極のクライミング・スタイルが「フリーソロ」。その魅力やクライミングに挑むアレックスに密着したドキュメンタリー映画である。(ホームページから引用)。たまたまネットの紹介で知り、ディズニープラスで視聴。

 幼い頃、命綱をつけずにクライミングをしている人の映像をテレビで見たときの衝撃を今でも覚えている。ちょっとの気の緩みやミスが死に直結する。そんな危険極まりないことになぜ挑戦するのか。なぜ挑戦できるのか。彼ら彼女らはどんな気持ちなのだろうと思った記憶がある。本作は、ロッククライマーのアレックス・オノルドのエル・キャピタン(ヨセミテ国立公園にある一枚岩)へのフリークライミング挑戦の様子がまとめられている。

周囲もハラハラ…

 こうした映像が残っているということは、もちろんその裏には撮影隊がいる。本作では、そうしたメンバーの目線からもアレックスの挑戦に対する向き合い方や葛藤が描かれている。彼らも複雑な気持ちなのは想像に難くない。自分の親しい友人が、目の前で死んでしまうかもしれないのだから。そう考えると、安易に「頑張れ」と挑戦に向けて背中を押すことはできない。アレックスの挑戦を応援したい気持ちと、友人の安全を心配し素直に応援ができない気持ちがせめぎ合っている様子が印象的だった。一枚岩のいちばんの難所にアレックスが差し掛かった際、地上の撮影隊の一人がアレックスから目を背けていた姿があった。自分も同じ状況だったら、同じように不安で直視ができなかったと思う。

「鎧」を纏う

 本作に登場するロッククライマーのひとりが、フリークライムに臨むためには、「鎧」を身につける作業が必要と語っていた。自分が納得して、絶対に成功できると確証を得るまで、ひたすらシミュレーションを行い、自信という「鎧」を纏っていく。少しの不安もつけ入る隙がないほどの、完璧な鎧を身に纏うことで、はじめてこの挑戦は可能となる。アレックスが登頂前の気持ちについて、戦に向かう前の侍のように精神を研ぎ澄ませることに似ていると語っていた。日本を引き合いに出してくれて嬉しく思った。現世で戦国の侍と同じ気持ちになれるのは、アレックスくらいかもしれないが…。

 本作を見るまで、こうしたフリークライムに挑戦する人は、ぶっつけ本番で行っているのかと思っていた。しかし、考えてみれば、自分の命が懸っているのだから、周到な準備を行なったうえで臨むのは当たり前である。世の中には、なかばぶっつけ本番で挑むチャレンジャーなクライマーもいるようだが、アレックスは全く違う。できる限り安全かつ確実に登れるルートを選び、徹底的に攻略のための準備(練習)を行う。周囲からすると、無謀と思える挑戦も、本人にとっては成功して当たり前の行為に昇華されるのだ。(それでも今回の挑戦は本人にとってもチャレンジングであったようではあったが)

愛や友情の狭間で

 しかし、その鎧を脆くしてしまう存在もある。愛や友情である。アレックスには彼女がいたが、その存在が鎧を脆くしていると友人のクライマーから指摘を受けていた。また、撮影隊のメンバーも、自分たちの存在がアレックスの挑戦の足を引っ張ってしまっているのではないか、登頂の邪魔になっているのではないかと懸念しているシーンがあった。登頂はあくまで自分のための行為だと、徹底的に自己中心的に捉えるべきで、彼女や友人など、誰かのために「生きて戻らなければ」と考えた瞬間、つまり生を強く意識した瞬間に、強烈な恐怖が心を覆ってしまう。高さ1,000メートルの崖の真ん中でそうなってしまったら、あとは想像に難くない。

夢を強く握りしめる

 映像として残っているので、成功しているのはわかっている。だが、どこかで足を踏み外さないか、手をかけた岩が崩れたりしないかなど、あれこれ考えながら食い入るように映像を見ていた。自然と手に汗が滲んでいたのに気づき、「手に汗握る状況とはまさにこのことだな」と、夜、ベットの上にパジャマ姿で冷静に思っていた。人生には人それぞれ色々な目的や価値観がある。アレックスはただ挑戦をし続ける人生でありたいと語っていた。たとえクライミングに失敗して最悪の結果になったとしても、本人はまったく後悔しないのだそう。そうした意味では、やはりクライマーはどこか一般の人とは感覚や価値観が大きく違うのかもしれない。
 ただ、映画を観て感じたのは、夢や目標を持つことはやっぱり大事だということだ。人生を一本の「木」に例えると、自分の夢や目標が木の幹で、周囲の友人や彼氏彼女は枝葉にすぎない(特にアレックスを見ていてそう感じた)。夢や目標が大きいと、それだけ幹の太い大きな木になる。大きな木には、それだけ多くの枝葉がつくわけで、それだけ多くの友人や味方ができる。もちろん、大きな木になるためには、土台となる根を深く広く地面にはる必要もある。この根の部分は、人格や知識、経験が当てはまると思っている。岩の映画なのになぜか木の話になっているが、最近、30も過ぎながら働くことの意義を改めて考えだした自分には、彼の人生が少し羨ましくも思えた。

最後に、エンドロールで流れていた歌の歌詞が良かったので、引用。

Tell them to never let go. There’s a beautiful valley below. When you hold on tightly to the dream, gravity is just a fragile thing.
「どうか諦めないで。そこには美しい谷が広がっているから。夢を強く握りしめていれば、重力なんて微かなものさ」

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