『蜜蜂と遠雷』(24冊目)

本屋大賞と直木賞をダブル受賞した本作。2016年に出版され、映画化までされている作品。書店で平積みにされていたので、何気なく購入。普段、分厚い本(しかも上下分かれている)はあまり購入しないのだが、表紙のデザインとタイトルに惹かれ購入。著者の作品を読んだのは『夜のピクニック』以来2作目だ。アマゾンのレビューにも多く書かれていたが、分厚い本だが、読み始めると止まらない、夢中になれる一冊だった。

「天才」たちの競演

 日本で行われる『芳ケ江国際ピアノコンクール』を舞台にピアノの「天才」たちの闘いが繰り広げられる。自宅に楽器を持たない少年・風間塵。かつて天才少女としてデビューしながら突然の母の死以来、表舞台から姿を消した栄伝亜夜。楽器店に勤務するサラリーマン、高島明石。長身イケメンで音楽技術も人間性も素晴らしい優勝候補のマサル。この4人を中心として物語は進む。

 ストーリー自体は意外とシンプル。第一次予選、第二次予選、第三次予選、本選からなるコンクールにおける、参加者それぞれの心の葛藤や、演奏中の心境を描いている。ただ、その描写の解像度が高すぎる。コンクールで披露される楽曲に対する著者の解釈、そしてその表現力の高さに驚かされる。文字を読むだけで、演奏者がイメージしている風景が自分にも見えてくる。電車の中であろうと、自宅のベットの上であろうと、登場人物が演奏しているシーンを読むと、自分もコンサートホールで聴衆としてコンクールに参加している気分を味わうことができた。

心の奥では皆天才に憧れている

 本作の魅力は登場人物にもあり、冒頭に記載したタイプの異なるいろんな「天才」が登場する。「天真爛漫」という言葉がぴったりの風間塵には厨二心をくすぐられる。また、栄伝亜夜のように、かつて天才と呼ばれていた子が、風間塵のような新しい天才に感化され、潜在能力が開花するといったような展開は、王道であるが、ワクワクするに決まっている。恥ずかしい話だが、昔、自分がもし天才だったらという妄想を何度もしていた。バスケの天才として無名校を全国大会に連れて行く。楽器の演奏に秀でていて、コンクールで賞を総なめにするなど(こうした経験は他のひともあるのだろうか・・・)。自分にはない能力に憧れると同時に、ニュースで見るスポーツや芸能の「天才」たちを羨ましいと思っていた時期があった。

悩みは尽きない。人間だから。

 ただ、当たり前かもしれないが、人間誰しも「悩み」を抱えている。天才と呼ばれる人もみな、どこかで挫折を経験していたり、次々に現れる新たな才能を恐れ、不安な日々を送ることもあるかもしれない。「悩み」は人間特有の感情である。明日の食糧をどうするか、この先をどう生き延びるか。未来への不安、いわゆる悩みは遥か昔からDNAレベルで人間に備わってしまっている。抗っても仕方ないので、上手に付き合っていくしかない。最近は、未来のことは気にせず、今に生きることが大切だと自己啓発の本でも述べられている。これが悩みや不安に対する一つの解決策なのは間違いない。栄伝亜夜は、コンクールの前、自分が果たしてこの場に立っていい存在なのか、観客は自分の演奏を受け入れてくれるのかと自問自答していた。しかし、いざ演奏が始まると、目の前の演奏に集中し、音楽を楽しみ、観客の心を鷲掴みにしていた。そこには演奏前の悩みなど存在していなかった。

 人間は感情の生き物なんだなと本書を読んで改めて感じた。負の感情を抱えて生きる苦しさはあるものの、やはり、楽しい、嬉しいといった感情を享受できるのが人間の良いところだと思う。音を楽しむことができる、音楽を理解することができるのは人間だけの特権だと本作でも述べられている。さまざまな感情が備わっていたからこそ、人間が地球上でここまで発展できたのだろう。(なかなか壮大な話に・・・)

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