『運転者』喜多川泰氏(18冊目)

読書日誌

2023年初投稿。時間が空きすぎてしまった。どちらかというとビジネス関連の書籍ばかりを読み漁っていたので、なかなかこうした感想文を書く機会につながらなかった。こうしたアウトプットは重要だと重々承知しているので、そろそろやらねばという焦燥感に駆られ取り掛かった。小説は久しぶりに読むので、比較的軽いものをと思い、Voicyで最近お気に入りのマグさんが推薦していた本書を選んだ。また、3ヶ月ほど前からKindleUnlimittedを契約しており、そこから無料で読めたのよかった。月額980円かかるが、読みたい本のほとんどは月額料金内で読むことができるのでかなりおすすめだ。

「運転手」ではなく「運転者」

本書のタイトルは「運転者」。「運転手」でないことが味噌である。恥ずかしながら私は読んでいる途中で気がついた。本書にはタクシーの運転手が出てくるのだが、この運転手が不思議な存在なのである。主人公である保険セールスマンの修一は、妻と娘の三人暮らしをしている。娘は不登校。また、あと一歩のところまで漕ぎ着けた保険契約が一斉に破棄されるなど、不幸が重なり続けていた。そうした修一の目の前に、タクシーがやってくる。先ほど不思議と言った理由は、このタクシーでは、乗車を続けていると一定の額からメーターが減っていくのだ。またタクシーの運転手もなんとも言えない独特な雰囲気で、設定もあいまって若干の胡散臭さも感じたが、そこは喜多川ワールドと言われる所以であるのだろう、読み進めるうちにタクシー運転手への印象は180度変わっていた。

本書のタイトルにもなっている「運転者」とは何か。それは「運を転じさせる者」である。不幸が重なって絶望の淵に立っている修一の運を転じさせるために現れた救世主だ。行き先を言わなくても、限られたメーターを使って、人生を変えるような場所に連れて行ってくれるのだ。現実の世界にいたらなんとありがたい存在だろうと思いながら読んでいた。この運転者と修一との会話のなかで、特に運転者が修一に投げかける言葉が、核心をついているように感じて、いくつか響いた言葉があった。

「運」は後払い

タイトルにもなっているので、「運」に関する言葉がよくでてくる。一つなるほど思ったこととして、「運は後払い」という言葉だ。何もしていないのに良いことが起こったりはしない。ポイントカードの例えがわかりやすかった。ポイントカードはもらった瞬間に500ポイントを使わせてもらって、後からポイントを貯めるなんてことはない。ポイントを貯め続け、ある一定のポイントが貯まって初めて使うことができるのだ。運もその考え方と同じらしい。私生活で運がいいなと感じる瞬間は、運が消費されている瞬間でもあると言える。意識して貯めようと思ってもどうにもならないことであるが、運をコツコツためて、来るべき勝負の際に最大限使うなんてことができればいいなあとも思った。では、運を貯める方法は何か。それは常に上機嫌でいるということである。普通に考えてみればわかるが、イライラしている人、どんよりした空気を纏っている人に運が味方するようなことはない。努力している人に運が味方するとよく言われるが、そういうことなのだろうと思う。また、上機嫌といっても、楽しいことが起こりそうとワクワクすることではないらしい。起こったことが悪いことであってもそれを楽しむと決めることなのだそうだ。自分の思い通りにならないこと、価値観と異なること(人)にも楽しんで向き合うということが大切なのだ。本書では、バーに行ったことがない週一が初めてバーを訪れるシーンがある。慣れない雰囲気に居心地の悪さを感じていた修一であったが、上機嫌でいることを意識した結果として、音楽に身を預けて一人でいることも悪くないなと感じるようになる描写があった。

本当の「プラス思考」とは?

運に関する話と関連して「プラス思考」の考え方もなるほどと感じる点があった。プラス思考という言葉自体は浅い言葉や暑苦しい言葉として捉えられる傾向があるが、本書では少し意味合いが違う。先ほどの上機嫌でいることに通ずる部分もあるが、プラス思考とは、「自分の人生でどんなことが起こっても、それが自分の人生において、どうしても必要だから起こった大切な経験だとプラスに考えること」である。誰よりも上機嫌で運を貯める生き方をする。貯めた運の半分くらいはたまに使って生きる。それでも誰よりも得るものが多い。そんな生き方が本当のプラス思考なのだそうだ。人間、ついつい誰かと比較して、自分を卑下してしまうことがある。それは、自分の人生に集中していない証拠である。他の人は自分の人生を一生懸命生きて、その人の役割を果たしている。だから多くを持っているように見えても、実際には苦労していることの方が多かったりもする。そういったことを知ることなんてできないし、そもそも自分の人生にはほとんど関係ない話なのだ。自分の人生をしっかり見つめ、集中して前向きに「生きる」ことが本当のプラス思考への一歩なのだ。

使いきれなかった運の行方は

しかし、中には「運を使えずに終える」人生もある。例えば、戦争や災害などによって突然死が訪れる場合だ。本書でのタクシーメーターの正体は、修一の祖父とついこの間に亡くなった父が貯めてくれた運だった。修一の祖父は戦争のため、若くして亡くなった。戦時中の貧しい状況下でコツコツと貯めた運を使う機会なく死を迎えた。実は修一の父のもとにも、このタクシーはやってきている。それは、祖父が運を使い切ることができなかったからだ。そして、修一の父も同じように人生を変える場面をタクシーによって経験している。そして、祖父と同じように、最後には運を使い切らず、修一に残して病気で亡くなった。この話を読みながらハッとしたことがある。私も同じように、先代(祖父)や両親から運を受け継いでいるということだ(両親はまだ健在なのだが)。私は祖父の建ててくれた家で育った。有形のものにはなるが、これも歴とした運の形ではないかと思う。他の人にも同様に、運というものは、先代、先先代の方達から脈々と受け継がれているものなんだと思う。ならば、我々も同じように、後世のために(まずはもちろん自分のためにも)運を貯める努力をしていかなければいけない。先代が築いてくれた運の上であぐらをかき、自分の代で運を使い切ってしまおうという考えは、私にとってはいただけない考え方だ。まずは上機嫌でプラス思考に。自分が努力してためた運は、使いきれなくても後世に残る。その意味では、報われない努力はないとも言える。短い期間で成果がでなくても、次のために運を貯めたのだと納得できれば、少しは気持ちも楽になるかもしれない。そして、自分の生きているうちに運が実らなくても、後世の誰かが享受してくれるかもしれない。未来の誰かのために今頑張るという発想も悪くないなと思った。

久ぶりの投稿になるのでたくさん書いてしまった。短くても良いので続けることが大事だなと再認識した…。

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